日本の民家ー司馬遼太郎のまなざしその2
2017.5.31
飛騨の民家は実に美しい。
飛騨高山の有名な建築物ではなく、飛騨地方の山間にたたずむ普通の農家の古民家が実に美しいと、司馬さんは「街道を行く−飛騨編」の中で書いています。
全く同感です。
屋根が重く寄せ棟つくりの関東の古民家が、どうしても好きになれず、美しい民家は飛騨に限ると常々思っていたところ、司馬さんも同じことを感じていたのです。
「街道を行く−飛騨編」を読んだ時、胸が高鳴る興奮を覚えました。その司馬さんの文章がまた味があっていいので、そのまま引用します。
「飛騨で堪能できるのは、何と言っても民家である。よく紹介される高山の市中の日下部家(くさかべけ)などのような大型のものにかぎらず、ただの民家で十分に美しい。
まず、勾配が浅く、厚みを感じさせない屋根がいい。たとえ本体が新建材になっていようとも、この屋根を持つかぎり、飛騨ぶりのよさをあらわしている。
飛騨人はよほどこの屋根を好むらしく、相当な規模の家でも一棟の屋根を持つだけである。入り組ませて建物の顔(ファサード)だけでごまかそうとはしない。
家全体のかたちは矩形だが、その単純さを他の工夫でみごとにふせいでいる。
本体は、羊羹を二棹(ふたさお)積みかさねて(二階建てが多い)飛騨屋根をかぶせた形を思えばいい。
単純さを破るためには、まず白壁をつかう。
さらには、幾何学的な模様を家全体で表現している。
ここで弁解するようだが、私は大工修行をしたわけではないから、家の仕組みがよくわからない。民家に関する本をずいぶんと集めたつもりだが、飛騨の民家についても、素人判断で観察せざるを得ない。」
いいですよね、司馬さんのまなざしは。
自分でいいと思ったものを素直にいいと表現する。それがなぜいいのか、なぜ美しいのかを他人の講釈を借りずにまずは自分の頭で考える。そして、興味が深まると、その分野の専門の本を読んで調べる。
自分なりの感性や美意識を大事にしたい、できれば司馬さんのようにありたい、と思いました。