私の中のボブ・ディラン 前編 14歳~21歳まで
2016.10.14
2016年、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞しました。
新聞・テレビは彼の詩人としての功績を伝えてますが、文学界からは受賞に批判的な意見も多くあるようです。受賞に関してコメントするつもりは毛頭ありませんが、とにかくディランは私にとって、音楽のNavigatorであり、心のMentorであり、ファッションLeaderであり続けました。彼を知った中学校2年生から今日にいたるまで。
1974年、中学2年生14歳の頃から私は日本のフォークソングを聴き始めました。
拓郎、岡林、高田渡、泉谷、みんなデイランの影響を受けていて、そんなすごい音楽家ボブ・ディランのことをもっと知りたいと思いましたが、同級生の多くはビートルズのレコードは持っていても、ディランのレコードは誰も持ってなく、しかたなく当時はラジオが唯一のディランに関する情報源でした。深夜のオールナイトニッポンではじめてディランの曲「All Along the Watchtower」(邦題:「見張り台からずっと」)を耳にしました。早口の英語の歌詞は当時まったく理解不能でしたが、なんだかビートルズとは違う「やれた感じ」に、ませた中学生はしびれてしまった訳です。
1978年、高校生になって友人と学校帰りにビートルズの映画「HELP!」を名古屋の栄の映画館に見に行きました。陽気なロックンロールに交じってジョン・レノンが歌う「You’ve Got to Hide your Love Away」をスクリーンで見た瞬間、「これディランじゃないの」と。あのビートルズが、ディランの影響をもろに受けていることに強いショックを受けたのでした。
高校生になってからの私は、英国、米国、日本のあらゆるジャンルのロックミュージックをむさびるように聴きましたが、その多くはディランの影響を色濃く受けていました。デヴィッド・ボウイの「Starman」、ジョージ・ハリスンの「This Guitar Can’t Keep from Crying」、ロキシーミュージックの「Love is the Drag」、YMOの「Day Tripper」みんなデイランのノッペリとした歌唱法をまねてるのがよく分かりました。ディランのようにしゃがり声で字余り的に淡々と社会性のある詞を歌う、それこそが当時のロックでしたね。
60年代半ばに米国人のボブ・ディランが、しゃがれた歌唱法、文学的な歌詞、そしてフォークとロックンロールとブルースをごっちゃにしたリズム、この3つを掛けあわせて確立したのがロックのルーツ。その後60年代後半から70年代初頭にかけて、ディランから影響を受けたビートルズやボウイといった英国のミュジシャンたちがロックを世に広めた、というのがロックという音楽(ロックンロールとは別の)の成り立ちに関する私の独断的な解釈です。ロックに造詣のある方は、その解釈に異論もあろうか思いますが、ただディランと彼を取り巻く人脈を知ることで今日まで続くロックという音楽の系譜をよく理解できるのは、間違いないと思います。
ディランの最大の功績が、カウンターカルチャーであるところのロックを創造したことだとすれば、彼のノーベル文学賞受賞は、文学を拡大解釈しすぎているという意味で文学界の重鎮たちがお怒りになるのも何となく理解できます。
さて時代は1979年、大学生になった私は自由に髪を伸ばせるようになったので、思い切ってディランをまねて髪を伸ばしパーマをかけ、ディランと同じレイバンのサングラスをして梅田や三宮の街にくりだしたりしました。阪急百貨店のショーウインドウに写る自分の姿を見て、ディランには似ても似つかないあまりのみっともなさに愕然としたものですが、なにはともあれ、ボブ・ディランが教えてくれたやれた感じのワーカー系のデニム・ファッションは今でも大好きです。
1982年、21歳、大学3年生の時にようやくというかはじめて「ボブ・ディランの詩集」を手にして寮の狭い部屋で読みふけりました。
それまでディランの曲は数多く聞いてきましたが、あらたまって歌詞を読むのは初めて。英語の歌詞は難解だったけど、訳詩の助けを借りて読み進めると、彼の人生哲学がじわっと青年の心に染み込んできました。「Don’t Think Twice,Allright」「The Answer is blowing in the Wind」
彼の詩に込めたメッセージを自分なりに解釈することで、なにともいえない安堵感というか目の前が開ける感触でした。それは高校生の時に禅寺で座禅修行で体感したメタ認知に似たすがすがしい心地でした。
To be continued…… 後編に続きます(^-^)