若者諸君、田舎で暮らそう 第7話 季節感について
2015.2.10
これまでこの社長ブログの中で連載してきた「田舎暮らし考察」は、今回から「若者諸君、田舎で暮らそう」にタイトル変更しました。これからもよろしくお願いします。
さて今回のテーマは季節感。東京を離れ田舎に移住して15年が経過しましたが、5年経過した頃から四季の変化を5感で感じ取ることができるようになりました。どういうことかと言うと、都会で暮らしていた頃は季節の変化は暑い寒いの体感温度だけでしか感じ取れませんでしたが、田舎に移ってからは、視覚、聴覚、嗅覚で季節の微妙な移ろいを感じることができるようになりました。気取った文学的表現をすれば、内面にある「季節感」という感性が変わったということです。他人から見れば他愛も無い個人的体験なんでしょうが、私にとっては人生観が変わるほど大きな変化でした。季節を5感で感じ取れたということは、私という主体がはじめて自然という環境の中に身を置くことができたことを意味するからです。「芭蕉や子規が感じたことをより深く共感できるようになった。」といえば、より実感を持ってご理解いただけるのではないかと思います。
特に自然に対する感度としては「嗅覚」の感度が最も高まったように感じます。たとえば「冬に対する季節感」、つまり「冬の匂い」と一言で言っても、12月と1月と2月とでは随分と匂いは違います。12月は枯れ葉の乾いた香りがうっすらと残り、草木の香りや、昆虫の匂いもまだどことなく残っているような冬の世界が12月です。かたや正月を過ぎて1月半ば頃の厳冬の林の中には有機物の匂いは一切ありません。遠くシベリア大陸に端を発し日本海を渡りさらに那須連峰を超えて吹き下ろす凍てつく無味無臭の冷たい空気こそが、1月の厳冬期の匂いです。それが2月に入ると、山から吹き下ろす北風の中に徐々に「里山の土の匂い」が混じり始めます。里山の土の匂とは有機物と水が混ざりあった匂いとでも表現すればいいのでしょうか、エコロジカルな意味では万物の命の源となる豊かな匂いです。嗅覚で季節を感じ取れるようになると、どんなに寒くても外で野良仕事をすることが苦でなくなります。マイナス8℃の雪の中で薪を斧で真っ二つに割れば、木の芯からは野趣あふれる芳香が湯気を立てて放たれますし、初冬に枯れ草の野原を歩けば、名もなき野草の枯れた葉からなんともすがすがしいハーブのような香りが放たれることがあります。
特に夜の森の中ではじつに生々しく季節の匂いを感じ取ることがあります。ほろ酔い気分で家の外に出て漆黒の森の中に身置いて目を閉じ聴覚と臭覚をとぎすませていると、闇の中に潜んでいた何かがどんどんと自分に近づいて来るのを感じて、最後には恐怖で耐えきれなくなり家の中に逃げ込む。そんな大人気ない一人遊びをやってもとがめられないのが、田舎のいいところなんです。