家の歌その5 加藤和彦「キッチン&ベッド」
2014.10.10
1976年 加藤和彦作曲 安井かずみ作詞 「キッチン&ベッド」
「こだわる(拘る)」という言葉が、本来の使われ方からズレて使われ始めたのはいつ頃からだったでしょうか。
元々は「細事に拘る」のように、悪い意味でつかわれる言葉でした。それがいつ頃からか、「住宅の素材にこだわる」とか「ワインにこだわる」といったように肯定的な意味合いを持った言葉に変質して今日に至っています。
サディスティックミカバンドを解散したトノバンこと加藤和彦さんは、作詞家の安井かずみさんと再婚し、ふたりで最初に作ったのがこの曲「キッチン&ベッド」でした。若くして芸能人高額納税者ランキングにふたり同時にランクインしたほど、人も羨むお金持ちのおしどりカップルでしたが、ふたりで世界中を旅して最後に思い至った境地は、「キッチンとベッドだけあれば、あとは どうにか なっていきます。」のシンプルで潔い世界観でした。
加藤さんと安井さんの共著による同名タイトル本「キッチン&ベッド」も1977年に出版されましたが、それを読むと、ふたりは外食以外の時は必ず毎日、自宅のキッチンでワインを飲みながら二人で料理を作り味わっていたそうですから、「キッチン&ベッド」の歌詞の潔さは、全くして偽らざるふたりの幸福像を写しだしたものといえます。
余談になりますが、この本「キッチン&ベッド」は、私が高校生の時に本屋で手にしてから、30年以上もの間自宅の本棚の隅で眠っていたのを昨年発見し読み返したことで、このブログに綴る機会を得ました。
この本の中の「キッチンこそふたりの人生の場」の章に、安井さんの書いたこんなくだりがあります。
「食事のリズムを一致させる―それがふたり仲良よく暮らせるキーポイント~満腹と空腹の繰り返しが、生活にリズムをつけると気づいたのは、やはりふたりいっしょに生活し始めてから。ひとりの生活では、神経が緊張していようがデレーッとしていようが、自分だけの問題ですむけれど、ふたりで生活していて、しょっちゅう感情がズレていては大問題です。(家庭の中での夫婦のかかわりを)スムーズに回転させていく動力が、ふたりのぴったりと合った食事のリズムなわけです。わたしたちが食生活をたいせつに考える理由も、そこにあるといっていいでしょう。」
安井さんがこの本を書いたのは30代半ばでした。売れっ子作詞家で恋多き女、のイメージが強い安井さんでしたが、これを読むと、とても思慮深く、人間味に満ちたハートをお持ちの方だったことがうかがい知れます。
今よりもずっと不便で、しかも人々の物欲が今よりずっと旺盛だった39年も前に、「キッチンとベッドさえあれば、あとは どうにか なっていきます。」と潔く歌ったおふたりの精神が、私には眩しすぎて頭が下がります。
住宅建築の仕事で食べている自分が言うのは矛盾するようですが、家の物や大きさや形ばかりにこだわって(拘って)いると、目の前の大切なことを見逃してしまうような気がしてなりません。キッチンとベッドだけあれば人は本当は幸せに暮らしていける、そういうことなのかもしれませんね。
追記> この本の中で、食通のおふたりがワインや食材や有名レストランや和食店について多くを語っていますが、「こだわる(拘る)」という言葉はひとつも見当たりませんでした。ということは、「(ワインや食事に)こだわる」人は、80年代のバブル以降に急増したことになります。