株式会社ハーフビルドホーム Half Build Home

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株式会社ハーフビルドホーム Half Build Home

大切にしたいこと

興味を持ってくれた方へ。私たちからのメッセージです。

これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか?

「これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか?」 吉田拓郎の歌にあるこの問いかけが、ずっと心の隅にひっかかっていました。10代、20代、30代は、自分の力で生きてきたというよりは、なんとなく生かされてきた感じでした。そして、40歳で東京の会社を中途退職し、那須に夫婦で移住して自宅をセルフビルドし、完成して初めて我が家に灯りがともった夜、外から眺めながら私はひとりこの歌を口ずさんでいました。 2001年4月「これこそはと信じれるもの」を手にした瞬間でした。

このHPをご覧いただいてハーフビルドに興味を持っていただいた皆さんに、まずは知っていただきたいこと、すなわち私たちが「大切にしたい」と考えていることはすべて今から14年前に私たち夫婦が経験した自宅セルフビルドに端を発しています。少々長くなりますが、その体験談についてまずはお話ししたいと思います。

ハーフビルドホーム代表 青木真
40代で東京の会社を中途退職、
セルフビルドをめざし、那須へーー

「田舎の広い土地にセルフビルドで自宅をつくりたい」と漠然と考えはじめたのが東京に住んでいた1999年頃からでした。シェルパ斉藤さんが書いた「野宿の達人 家を作る」に触発され、最初はログハウスをセルフビルドでと考えていました。が、いろいろと調べると、ログはまず高い。しかも間取り設計の自由が無い、水に弱く湿気の多い日本の風土に合わない、気密性が劣るといった問題が見えてきました。
そこで、木以外の様々な材料が使えて気密性も高く、ログより経済的に建てられるツーバイフォー工法でセルフビルドする方向で検討し直し、

その結果、ツーバイフォーの住宅パネルを自由設計でつくってくれる東京の会社を見つけて、そこに設計、構造パネルの製作、窓やドアや床材などの輸入代行を依頼する契約を結んだのが2000年5月でした。

我々のセルフビルドが動き出したのは、東京から那須の仮住まいアパートへ引っ越した2000年8月1日、朝早くにツーバイフォーパネルを積んだ4トントラック数台が建築予定地に到着し、右も左も分からない中、夫婦二人で荷卸しされた重いツーバイフォーパネルを持ち上げては別の場所へ移動し、数量をチェックした後ブルーシートを被せて養生する。
今から思えば単調な力仕事でしたが、つい先日までクーラーのきいた都会のオフィスで仕事をしてきた私にとって、それは過酷な重労働で、

息を切らし額の汗をぬぐいながら、「これが夢に見たセルフビルドの現実か」と早くも弱音を吐いていた自分がそこにいました。建築に不慣れな施主がセルフビルド現場で最初に直面するのは、基礎体力の無さ、普段使わない指や腕の筋肉痛、そして先の見えない不安感です。
セルフビルドや、DIYの家づくりがごく少数のDIYマニアだけのものであるうちは問題ありませんが、もっと多くの一般の人々に普及するには、やはり重労働はできるかぎり排除しなければならないと思います。あの夏の日の肉体労働の経験は、私にとってやはり相当強烈だったんです。

2000年 建築着工前に記念撮影
2000年 自宅建築中の青木
「全て自分でつくる」セルフビルドは、
悪戦苦闘の日々…

8月9日から上棟工事が開始しました。構造材や柱・梁材をクレーンで吊って組み上げる上棟工事、すなわち建て方は、当時全くの建築素人だった私たちには手に負えない工事なので、地元の大工さんに依頼することになりました。多くの職人さんが出入りするにぎやかな建て方が終わると、祭りの後の如く、周りには頼る人が誰もいない夫婦二人だけの孤独で不安な自主建築の日々が再び訪れました。文字通り「自力」で家づくりを進めていかざるをえなかった訳ですが、とにかく大工さんや職人さんと話が出来る最低限の建築知識やら用語を覚えるところから始めなければなりませんでした。昼現場で仕事をした後、夜仮住まいのアパートに帰ってから建築の専門書やセルフビルド解説本をむさぼり読みました。それから親しくなった大工さんの家に押しかけて大工仕事を教わったり、建材屋さんで買い物をするついでに店員さんに道具のイロハを

教わったりしながら現場で試し、分からなければ再び職人さんや専門店を訪ねてては聞く。そんな行きつ戻りつの手探り状態ながら、なんとか9月下旬までに屋根を葺き終えることができました。
屋根の後は米国製の窓とドアをマニュアルを読みながら取り付け、外壁板を貼り、左官下地のモルタルを初めて握るコテで塗り、そして外部工事の最後の仕事-壁の漆喰左官塗りが始まったのは秋も深まった2000年10月下旬でした。「冬が来る前に、外部の仕事を終え内部の仕事をはじめる。」と最初に決めた目標がなんとか達成でき、外部が完成したのが11月下旬。出来上がった外観は、屋根がシェイク、壁が漆喰と板張り、窓は木製サッシと、我々が目指していた英国の田舎家そのもので、何度もいろんな角度から眺めては「いいな、いいな」と感激していました。それまでの苦労が吹き飛ぶほど嬉しかった、「本当に俺たちふたりで作ったんだ。」と大きな声で叫びたいくらい、その時の心の高ぶりをいまでも鮮明に記憶しています。

失敗経験から得た、
「私たちが考えるハーフビルド」

現在当社のハーフビルドのシステムでは、基礎、上棟、屋根、外壁といった外部工事は請負工事で当社が雇った業者職人が施工していますが、私たちが自宅をセルフビルドした2000年当時は、明確なハーフビルドのシステムでもって建物の半分を請負工事でつくってくれる業者は無かったため、基礎や上棟は地元で職人さんや大工さんを探して自ら発注し、それ以外自分で出来そうな屋根工事、窓ドア取り付け、外壁工事はセルフビルドしました。いざやってみると、外部工事では予定していた以上に時間とコストがかかりました。
また、精神的肉体的疲労も相当過酷なものでした。深夜雨音に目が覚め葺きかけの屋根にブルーシートを被せて無かったことに気づき車を現場に飛ばし、真っ暗闇の中、水で滑りやすくなった足場に登り、屋根全面にブルーシートを被せ終わった時には、

「こんなことならやるんじゃなかった。」と後悔の念から涙が止まらなかった、そんなこともありました。また雨樋の取り付け方が間違っていて後で全部はずして付け直したり、材料の歩留まりが分からず発注料が多すぎて大量の無駄が出たり、外壁の板壁を張るのに釘打ち機が無いため全て手打ちしたり等々、知識・経験・体力・道具すべてが不足している建築素人がやったがための失敗や無駄が、ほんとうに多かったと思います。ですが、その時私たちが経験した苦々しい思いや失敗は、現在の会社のハーフビルドの仕組みを作っていく上での大きな礎になっています。特に、深夜屋根の上で「こんなことやるんじゃなかった」と泣きながら悔しがったことと、その後家が完成して「やってきてよかった」と最高の感激に浸ったこと、その2つの心に残る実体験が、「ハーフビルドホームが考えるハーフビルド」を形作ってきたように思います。それは具体的には次の3つに集約されます。

ハーフビルドホームの考えるハーフビルド

重くて危険な仕事は出来る限り
施主さんにはやらせないこと

完成まで
ちゃんとサポートすること

自分で家をつくりたい人たちの夢を実現する設計施工サービス会社であること

那須の冬の寒さを見据え、
まずは薪ストーブと床暖房を

外部工事が終わって内部工事に入ったのは2000年12月初旬でしたが、マイナス10℃近くまで冷え込む那須の寒さは聞き知っていたので、内部工事を行う前に先行して薪ストーブ廻りのレンガを積んで薪ストーブを入れました。暖房は薪ストーブ以外に温水循環式床暖房も敷設しました。東京にいる頃日比谷図書館でたまたま見つけた「自分でつくる床暖房」という本のコピーを持って那須の地元のピュア設備阿久津さんに相談に行ったら、「こんな床暖房見たこと無いけど、どうしてもやりたいなら床暖房用のボイラーの設置と床下のヘッダーの設置まではうちでやるから、その先の床フローリングを張る前の銅管パイプを根太の間に敷く作業は青木さんでやって」ということになりました。 このセルフ対応可能な温水循環式床暖房は、一階の床全面に敷設しても驚くくらいローコストででき、

しかもとても暖かく絶大な効果が証明されたため、その後当社でハーフビルドされた施主さんの多くが床暖房を自力施工してきました。

薪ストーブの煙突設置は、上棟工事の後、屋根を自分で葺く前に薪ストーブ屋さんからもらったマニュアルを見ながら自分で取り付けましたが、やはり自分の手で煙突部材を取り付けると、住んだ後、煙突掃除などのストーブメンテナンスが安心してできるようになります。その経験を生かして、現在ではハーフビルドで建てる施主さんのほとんどの方が、自分で煙突取り付けをしています。(当社スタッフが一緒にお手伝いしながら作業することになります)。また薪ストーブを先行設置して、建築端材を燃やしながら暖かい現場で内装作業するスタイルも、当社のハーフビルド現場ではおなじみの風景となっています。

我が家のセルフビルド 内装作業工程

壁に断熱材を入れる

階段を作る

天井板を貼る

床板を貼る

壁の石膏ボードを貼る

内部ドアを取り付ける

ケーシング、巾木、枠材などの造作材を取り付ける

キッチン、カウンター、棚などを製作する

木部を塗装する

漆喰と珪藻土を左官塗りする

壁の石膏ボード貼りなどは大工に任せても
断熱材入れだけは自分でやろう。

断熱材はツーバイフォーの設計を依頼した会社が勧めてくれた発泡系の断熱材を使いました。グラスウールと違って水や湿気に強く、またホッチキス無しで固定できるため施工性は良いのですが、カッターかのこぎりで必要寸法にカットして壁に入れるため、どうしても隙間ができて断熱効果が落ちてしまう。水に強くて、施工性も良く、しかも弾力性があって隙間も出来にくい、そんな施主セルフ施工に向いた断熱材があればいいなと、当時はやりながら思っていましたが、幸いにもハーフビルドホームを創業して2年目にペットウールという理想の断熱材に出会うことができ、それ以降は当社のすべての施主さんがペットウールを使って断熱作業を行ってきました。自分の自宅建築で断熱材入れをやってみて、「断熱材だけは、プロの大工より素人施主のほうが上手に施工する」ことがよく分かりました。自分の家となれば、隙間なく手抜きなくきちんと密に断熱材を入れるからです。

今では、「壁の石膏ボード貼りや天井板貼りは大工に任せても、断熱材入れだけは自分でやろう。」と提案するようにしています。また、階段の製作では本当に苦労しました。設計会社の担当者は当初「マニュアルがあるから大丈夫」と言っていましたが、始めてみたら図面も無いマニュアルも無い状態で、しかたなくツーバイフォー専門書を読んでふたりで試行錯誤しながら1週間かけてなんとか完成することができました。この経験があったので、ハーフビルドホームを創業してはじめにハーフビルドの作業範囲役割分担を考える際には、「階段は施主がやる仕事ではない。階段に悩む時間があるのなら、もっと建築素人らしい創造性が生かせる仕事をやるべき。」と考えました。

また、夫婦で階段をつくっていて思ったことですが、階段の段数から一段ごとの高さや踏み面の長さを計算したり、複雑な曲がり階段の納まり構造を考えるのは、私より妻のほうが向いていることがはっきりしました。細かい部分の寸法や納まりを考えて詰めていくのは妻のほうが長けていて、

逆に全体のバランスをみたり、新しいアイデアを生み出すために情報収集をしたりするのは私が得意でした。夫婦で家づくりを一緒にすると、家庭生活では見えなかったお互いの特徴や能力をおもいがけなく発見できたりします。

ハーフビルドの仕事はなにも肉体労働だけではありません。仕上がりイメージを想像しながら具体的な構造や納まりを考えたり調べたりする知的な労働も結構重要です。一人で悶々と悩んでいるよりも、夫婦二人でアイデアを出し合って進めたほうが間違いなく創造的解決につながることが多いわけで、そんな意味合いから、「ご夫婦で足並みをそろえてハーフビルドをする」ことが、単に二人いたほうが作業がやりやすいからという理由だけではなくて、「家族の協働の証」が目に見える「いい家」をつくるという理由からも重要だと思います。そのため、初めてお会いするご夫妻のお客様には、必ず「お二人で一緒に作業できますか?」と聞くようにしています。

2000年 自宅建築中の妻 昌子
徐々に木工作業のスキルアップを実感

現在ハーフビルドホームでは、コンプレッサーと釘打ち機を貸し出し、現場でちゃんとレクチャーをしてから施主さんはハーフビルド中最大の木工事であるところの天井板貼りと、床フローリング貼りを行っています。なので、今の施主さんたちは、さほど苦しむことなく作業が出来ていると思います。しかし、私たちが自宅をつくった当時は、釘打ち機などの専門的な道具は一切無くて時間手間も結構かかったものでした。これまで60軒のご家族様のハーフビルドに触れてきて感じることですが、天井貼りと床貼りの作業を終えると、みなさん格段に電動工具を使った木工作業がスキルアップします。

木工の腕が上がると、家具や収納棚や扉といった内部の造作が楽しくなりますが、それこそがハーフビルドの醍醐味だと思います。また、天井や床という比較的作業ボリュームがある工程は、できるだけ時間をかけないで素早く終わらせた方がよいと思います。天井板を丁寧に時間をかけて貼っても、短時間で素早く終わらせても、両者の違いは完成して見ればほとんど分かりません。天井板貼りと床フローリング貼りを施主さんができるだけ早く終えられるように、まずはジャストインタイムでモノ(材料)と情報(レクチャー)を提供すること、使いやすい専門道具を貸し出すこと、その後をフォローアップしていくことを心がけています。

内装作業を手伝ってくれた友人の存在が
現在のハーフビルドホームに生きています

最初はふたりで始めた内装セルフ作業でしたが、2000年の11月頃から、会社時代の先輩が時間をつくっては応援に駆けつけてくれるようになりました。先輩はDIYのベテランで、那須の別荘の庭に自力でウッドデッキと小屋を作っていました。その先輩からは、道具の選定、丸ノコの使い方、ビスや釘の使い分け方など、知っていると便利な知識や技術を数多く教わりました。「そばにいて支えてくれる頼りになるひと」が傍らにいてくれることの安心感をその時実感した私は、ハーフビルドホームを創業した後も、そのような親身になって施主をサポートできる人間性とテクニカルなスキルを併せ持ったサポートスタッフをずっと探してきました。
そして3年前に管野福雄さんというすばらしい方に出会えたお陰で、

当社の施工サポートに対する施主満足度が大きく改善しているのを、今肌身で感じています。

内装作業をふたりでやりながら困ったことは数多ありましたが、特に仮設設備のサービスを請け負ってくれる業者がいなかったことで、現場で様々な支障がでました。建築現場に置いてある建築廃材コンテナは、施主自身がコンテナ業者にかけあっても入れてもらえませんし、仮設トイレも同様です。仮設水道も水道屋さんの都合で後回しにされ、ついに家が完成するまで引かれずじまいで、近所のお宅にバケツを持って水をもらってきては漆喰珪藻土の左官塗りをやるはめになりました。ハーフビルドする施主が必要としている仮設サービスをしっかりと提供することも、ハーフビルドホームにとってはとても大事な仕事だと認識しています。

完成した家の灯りを見て心が震える体験を
多くの方々に感じてほしい

2001年の1月から始まった最後の仕事、漆喰と珪藻土の左官塗りが3月中頃にほぼ完了し、仮住まいのアパートから新築の我が家へ引っ越したのが3月下旬。漆喰に含まれる海藻のりから出る潮の香りと、ドイツ製の自然塗料の植物性溶剤アマニ油のあまい香りが混ざり合った新居に初めて灯りがついた夜の感動は、いまでも心の中にしっかりと刻みこまれています。

新緑が眩しい風薫る2014年5月の自宅の庭を眺めながら、今私はこの原稿を書いています。脱サラして自宅をセルフビルドして14年が経過し、最近ようやく本業の仕事と家の仕事(庭仕事、野良仕事)をバランスよく楽しむことができるようになりました。休日にポータブルスピーカーを庭に置いて好きな70年代のアメリカンロックを聞きながら野良仕事をしている時、背の高い広葉樹の木々を揺らす森の風で季節の変わり目を感じた瞬間、「ああ、これが私のライフスタイルだ。」と感じることがあります。大げさかもしれませんが、自分たちで手作りした家と庭には、お金では買えない貴重な空間と時間が存在します。

2003年冬 青木自宅

「私たちでも家が自力でつくれたんだから、私たちと同じように、もっと多くの人が自宅を自分たちで作れるんじゃないだろうか。どうせやるのなら、電動工具に触れたことが無い人でも、安心して家づくりに参画できるようなセルフビルドサービスが自慢の建築サービス会社を目指したい。私たちの経験や失敗を糧にして、もっと楽しく、もっと自由で効率的で創造的なDIY家づくりを広めることが目標だ。そして、完成した家の灯りを見て心が震えたあの時の感動を、家づくりを全うして得た自信と勇気を、夫婦で協力し合って成し遂げた大きな成果を、そして家づくりを通して得られる本物のライフスタイルを、多くの方々にも手に入れてほしい。」
私たちが大切にしたいことは、こういうことなんです。

株式会社ハーフビルドホーム 代表取締役 青木真