年が改まるときまって読みたくなる本があります。ランドスケープ・デザイナーの中谷耿一郎(なかたにこういちろう)さんの『木漏れ日の庭で』という本です。十年以上前に買った私の愛読書の一冊です。八ヶ岳の南麓に100坪ほどの土地を買い、延べ床15坪のシンプルな小さな家を建てました。別荘として使っていましたが八ヶ岳がたいそう気に入り、仕事場も移して定住してしまいました。本には彼自身の小さな家のこと、森の四季の生活、庭のこと。人はなぜ庭を作るのか、とか時間について、家について、風景、樹木の話など二十二章にわたって中谷さんが撮影した美しい写真とともに紹介され、いつ読んでもとても共感できる大切な一冊です。A4 版変形の正方形の本は本箱にあるだけで安心する不思議な存在です。

<はじめに>の文中で「私は自然に精通したナチュラリストでもなければ、環境問題に取り組んできたエコロジストでもない。私が長くなりわいとしてきたランドスケープ・デザインという仕事自体、緑を扱うとしても、建築や土木と同じように常にスタンスは開発の側にあって、好むと好まざるを問わず、自然破壊の一翼を担うことも多い。私たちにとってかけがえのない農業や牧畜が、原罪的ともいえる自然破壊の宿命を背負っているのと同じように、私たちの住まいや庭も自然を蝕む存在であることを深く心に留めた上で、私なりに人と自然、そして庭のあり方を探っていきたいと願っている。」

<あとがき>の中には、「私たち俗人は、なかなかソローや鴨長明のようにはなれない。せめてちいさな庭と家を与えられたことに感謝し、その土地が少しでも美しく豊かなものになっていくよう見守りかかわっていくことが、ひととき地球の一部を天から預かったものの役目なのだと考えれば、家の奴隷になることも庭の奴隷になることもなく心軽やかに人生を楽しむことができるのではないかという気がする。」

「ひととき地球の一部を天から預かったものの役目・・・」の箇所はいつ読んでもちょっと心の琴線に触れ、気持ちがシャキッとします。

本文中に家について興味深かったのは、建築家の清家清さんから、「人が苦痛を感じないで掃除できる広さは、せいぜい10坪が限度」と伺った。というくだりで、10坪!マジですか!?と思いますが考えてみれば確かに大きな家はいらないですね。大きさに比例して諸経費はかさみますもの。外見は小さく見えても、中は広く、が私の好みですが。矛盾する要素を叶えるには、必然的にワンルームに近いかたちになるのでしょうか。『森の生活』のソローが語った理想の家は比較的大きなワンルームに近い家だと思うのですが。

二十二章<家について>では「限られたお金、限られた時間の中で人生を愉しむためには、人それぞれに自分なりの方法で腹をくくる必要があるのではないかと思う。これから家を建てようとされている方は、この際、自分の生活に合った家の大きさを、もう一度考えなおしてみるというのはいかがだろうか。」

中谷耿一郎「木漏れ日の庭で」より抜粋